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ホッピー神山日光霧降高原幾何楽堂LIVE


5月13日(日)『堀江康子 和傘個展』オープニングパーティー幾何楽堂LIVE (夜の部)
 
■於:日光霧降 幾何楽堂 <主催:創造の扉 実行委員会>
■出演・大石宏子(HIROKO DANCE)・ホッピー神山(ピアノ・シンセ・ヴィジュアル)・原ミドリ(VOICE)



 春から初夏にかけて、ヤシオツツジ(県の花)、ヤマザクラ、ヤマツツジ、カタクリ、トウゴクミツバツツジ、ニッコウキスゲ(日光市の花)と霧降高原は様々な花に彩られます。もえぎ色だった木々は日に日に緑を濃くし、霧降滝の水も輝いて見えます。 この大自然が暮れ夜の帳に包まれる頃、夜の部のLIVEがはじまりました。
 ホッピー神山のピアノ・ソロとセンサーでピアノに呼応するシンセ(ムーグのピアノバー。生ピアノに置くだけで、演奏情報をMIDI信号に変換)によるサウンドと大石宏子の舞踏-HIROKO DANCE-と原ミドリのVOICE、とのコラボレーション!



撮影 具志堅有美

 幾何楽堂の壁面にはホッピー神山制作のヴィジュアルが照射されヴィジュアル・エフェクトとリズムのソリッドなグルーヴが絶妙にブレンド、めくるめく音と映像の中で溢れだすかのようなHIROKO DANCEが交感しあい、アヴァンギャルドなパフォーマンスはますますヒートアップ!
 終演後、皆、興奮覚めやらず口々に「凄い!凄いものを観た」と我を忘れて興奮!夜の静寂の中で感動の余韻を楽しんでいた。この時のパフォーマンスの写真を日光在住の写真家渡辺祥夫氏の御厚意により掲載させていただきましたのでご覧ください。



ホッピー神山(Hoppy KAMIYAMA)Producer, Keyboardist, composer

 ホッピー神山=国際的な視野をもって多面的な活動を続けるミュージシャン。1983年に、80年代を代表するスーパー・バンドPINKを結成。6枚のアルバムを発表し、ロンドンを含めて何回ものツアーを成功させた。同時に、大沢誉志幸など多くのミュージシャンのプロデュースでも大きな評価を受け80年代を代表する音楽プロデューサー、キーボーディストとしての評判を確立している。90年代にはいると、BUGS,OPTICAL 8など数々のユニットで、その多彩な音楽性を発揮。1991年 初のソロアルバム『音楽王』を発表。1992年 単身NYに渡り、2ndアルバム『音楽王・2』を完成させる。



記念すべき初のソロ・アルバム『音楽王』

 1994年宮本亜門のミュージカル「サイケデリック歌舞伎・月食」の音楽を担当。ロックからヨーデル、演歌、グレゴリオ聖歌まで、これまでの和製ミュージカルの枠を破る画期的な音楽を制作(サウンド・トラック『月食』としてリリース)、演劇界、音楽界から大評判を呼ぶ。一方で、氷室京介のアルバム『SHAKE THE FAKE』をプロデュースし、チャートの1位にたたきこむ。
 1996年 PUGSメジャー・デビュー。 同年3月 テキサス州オースチンでS×SW'96(サウス・バイ・サウスウエスト)に参加。ゴージャスで、グラマラスで、パワフルなロック・サウンドが海外でも注目される。 1997年 PUGSアメリカ・デビュー。 同年3月 全米13ヶ所ツアーを行い、各地で話題沸騰。 同年7月 再度渡米し、ロラパルーザ全米イベントツアーに参加。ジョン・スペンサー、 DEVO等と共演。
 1999年には、フランスのレーベルSONOREより室内楽を中心としたアルバム「Juice&Tremolo」を発表。90年代以降、東京のart-noise-punk-funk-alternativeシーンを引っ張る重鎮として君臨!また、1993年には自らの名前を冠した「ゴッド・マウンテン ・レーベル」を設立し、世界中のネットワークを築き上げ、新しい才能を発掘、世界に向けて紹介している。
 また戸川純バンドのメンバーであり、戸川純のショーの冒頭部分で毎回のようにJazz Rockセッション披露していたメンバー吉田達也とナスノミツルの3人でインプロでプログレに挑むジャズロックバンド「大文字」を結成している。

◇主な海外共演アーティスト:
ジョージ・クリントン、ジョン・ゾーン、メシオ・パーカー、ジーナ・パーキンス、エリオット・シャープ、ヒュー・ホッパー、クリス・カトラー、デビッド・アレン、クレイマー、エイミー・デナイオ、ゴッド・イズ・マイ・コパイロット、ゴング、マグマ、ビル・ラズウェル、ゲイリー・ルーカス、ザ・クリチャーズ、エルトン・ディーン、スティーブ・アルビニ、セバスチャン・スタインバーグ、ダギー・バウン ほか



HOPPY Kamiyama「A Navel City/No One is there」



HOPPY Kamiyama「~意味のないものは、意味がある~A meaningful meaningnessless」

「戦略的に狙ったものよりは、ごく自然に意味がないようなものの方が、与えられた者にとっては意味を成すことが多い」

(Beckのプロモーションビデオのアニメなどでも話題のアメリカ人アニメーター、e*rockのアニメとコラボレーションしたDVD付 Artworks by Wahon)



ホッピー神山最新作!ピアノ・ソロによる即興レコーディング・アルバム「もしもし、ピアノが弾けますよ If I were the piano」

◇日光在住の写真家渡辺祥夫氏の御厚意により下記写真を掲載させていただきました。◇























大石宏子

アメリカ滞在中に玉野黄市と出会い舞踏を学び公演に出演。
その後、大野一雄・慶人に師事。共に世界各国を回る。
その他、いろいろな舞踏家の公演に出演する。
そこにいる人達、自然、音楽とのエネルギーの共感を得ながら
あるがまま魂のおもむくままに踊りつづける。



『大野一雄 美と力』『御殿、空を飛ぶ。』


『KAZUO OHNO/監督:ダニエル・シュミット』『大野一雄 95歳 独り舞 日本心中』



◇渡辺祥夫(わたなべよしお◇

1971年8月16日栃木県鹿沼市生まれ

2004年7月
独学で写真を始める。

2005年1月
しかしそれに限界を感じ、写真の基礎を学ぶ為キヤノンフォトサークル
入会。

2005年4月
より一層の知識と技術の向上を目指し、キヤノンフォトクラブ栃木支部
入会。
そこで現在の先生である大山謙一郎(プロ写真家)、渡辺祥
二(栃木支部長)と出会う。
現在も修行中。

2005年11月、2006年12月
サトーカメラ本店にてグループ展を行う。

2007年3月
第10回しもつけ写真大賞入選。

現在に至る
# by ekatocatoblog | 2007-05-24 07:44 | プログレッシヴ・ロック

エリック・ロメール映画の個性派女優!アリエル・ドンバール 

Arielle Dombasle



エリック・ロメール映画の個性派女優!アリエル・ドンバール 




『アモール・アモール/アリエル・ドンバール Arielle Dombarle/Amor Amor』

★アリエル・ドンバールは、映画・TV・舞台・歌と多彩ぶりを発揮する個性派女優で、エリック・ロメール監督の常連(『海辺のポーリーヌ』(83)、『木と市長と文化会館(92)』他 計4作に出演)としても知られる他、ロマン・ポランスキー、ダニエル・シュミット、寺山修司等の作家映画からアメリカのTVミニシリーズ「レース」に至るまで、幅広いジャンルの作品に出演するなど、フランス映画ファンにはのおなじみのベテラン女優です。歌う銀幕女優は、おフランス女優のお家芸ですが、なんとアリエル・ドンバールがラテン・オールデイズの名作を歌っています。エレガントなソプラノ歌唱にレトロな演出は、女優ならではの妖しい雰囲気が漂ってオヤジ好みの大傑作となっておりますぞ!「ベサメムーチョ」「ペルフィディア」「アマポーラ」「ソラメンテウナベス」「キエレメ」等ルンバボレロを中心に「キエンセラ」を含む7曲がデモポップラテン。実は、彼女メキシコ育ちなんですね!メキシコへの想いをこめてラテン・ナンバーを全てスペイン語で歌って超セクシイ!本国フランスでは20万枚を超えるヒット作となり、ボーナス映像などを加えた2枚組の豪華ヴァージョンも発売されている。こだわりのMONO録音盤!



「アモール・アモール/アリエル・ドンバール」


   1 Amor Amor(アモール・アモール) 2:41
   2 Quizas,Quizas,Quizas(キサス・キサス・キサス) 2:43
   3 Quien Sera(キエン・セラ) チャチャチャ 2:44
   4 Besame Mucho(ベサメ・ムーチョ) ルンバ 3:37
   5 Perfidia(ペルフィディア/愛の裏切り) ルンバ 3:01
   6 Cuando Calienta El Sol(太陽は燃えている) 3:03
   7 Rhum And Coca-Cola(ラムとコカコーラ) 2:48
   8 I Wish You Love(アイ・ウィッシュ・ユー・ラブ) ルンバ 3:43
   9 Solamente Una Vez(ソラメンテ・ウナ・ベス) ルンバ 3:04
   10 Amapola(アマポーラ) ルンバ 2:35
   11 Whispering(ささやき) 2:13
   12 Quiereme(キエレメ) ルンバ 4:10
   13 As Time Goes By(時の過ぎゆくまま) 2:03
   14 Quizas,Quizas,Quizas(キサス・キサス・キサス/デュエット with フリオ・イグレシアス) 2:50
   15 Laura(ローラ) 2:28






 

 

【アリエル・ドンバール フィルモグラフィー】

■   フューチャー・ゲーム (2001)
■   宮廷料理人ヴァテール (2000)
■   倦怠 (1998)
■   新・メグレ警視/美術商ミスター・オーエン (1997) <TVM>
■   デザート・オブ・ファイアー (1997) <TV>
■   三つの人生とたった一つの死 (1996) <未>
■   恋の力学 (1995)
■   百一夜 (1994)
■   僕は、パリに恋をする (1994)
■   スピリット・オブ・ファイヤー/邪教都市 (1994) <TVM>
■   季節のはざまで (1992)
■   木と市長と文化会館/または七つの偶然 (1992)
■   禁断のつぼみ (1989)
■   新80日間世界一周 (1989) <TVM>
■   ベーゼ/崩壊の美学 (1989)
■   レプスキー危機一発/ロシア皇帝の秘宝 (1989)
■   レディ・ブルー/愛欲 (1988) <未> 監督 /脚本 /出演
■   エリザとエリック (1987)
■   愛と復讐のヒロイン (1986) <TVM>
■   ブロンドはお好き (1986)
■   フィービー・ケイツの レース II (1985) <TVM>
■   ガーターベルトの夜 (1984)
■   フィービー・ケイツの レース (1984) <TVM>
■   海辺のポーリーヌ (1983)
■   囚われの美女 (1983)
■   サン・ソレイユ (1982) 主題歌
■   上海異人娼館/チャイナ・ドール (1981)
■   美しき結婚 (1981)
■   テス (1979) 出演
■   暗黒街のふたり (1973)
■   ホーリー・マウンテン (1973)






DVD『En Concert /Arielle Dombasle』国内未発売!入手困難

メキシコのチャチャチャ、キューバのルンバ・マンボ、ブラジルのサンバ・ボサノバ、アルゼンチンのタンゴなど、おっしゃれ~なラテン音楽!これを聴いただけで体が自然とリズムを取って踊りだすアナタは立派なラティーナ、ラティーノ。アリエル・ドンバールの、スレンダーながら見事な肢体で子供のように心から楽しげにピョンピョン踊りまくるダンスは見もの!特典のビデオクリップは流石女優さん、美っつくし~!超・coquettish!とても50過ぎの肢体とは思えましぇん!スタンダードな名曲のオンパレードにご機嫌も麗しくなること請け合い!でもDVDは国内未発売、入手困難だもんね。ま、レゲエど頭の兄ちゃん、姉ちゃんを苦々しく思うビターでメロウなラテン・フレーバーでホアキン・コルテスばりの大人の恋愛中の諸兄々に超オ・ス・ス・メ!

 

 



<<アリエル・ドンバール プロフィール>>

1954年4月27日、アメリカ合衆国コネティカット州生まれ。まさかの52歳!ちなみに、新婦じゃない新譜も出して、いまだ咲き誇る♪ジェーン・バーキン♪姐さんは、1946年12月14日英国ロンドン生まれの、御歳60歳!万歳!
本名、アリエル・ソヌリー・ド・フロメンタル。祖父が駐メキシコ大使、父が外交官だった関係で、1~18才をメキシコで過ごした。その地で、オクタビオ・パスやガルシア・マルケスと交流を持つ。パリのコンセルヴァトワールで声楽を学ぶことになり、フランスへ帰国。コンセルヴァトワール卒業後、『聖杯伝説』のオーディションに応募したことから、ヌーヴェル・バーグの巨匠エリック・ロメール監督に見初められ、女優に転身。以来、ロメール映画の重要な登場人物となり、個性派女優としてロマン・ポランスキー、ダニエル・シュミット、寺山修司ら錚々たる映画作家の作品にも出演。彼女の名が最も世界に知れわたったのが、1983年、エリック・ロメール監督の『海辺のポーリーヌ』。1998年に公開された『倦怠』(セドリック・カーン監督)では、セザール賞助演女優賞にノミネートされた。シリアスな役からコメディまで幅広くこなすだけでなく、ロメールの協力を得て、自ら監督、脚本、主演をこなし、その他舞台にも挑戦するなど多才ぶりを発揮。ソプラノ歌手としてバロック歌曲のリサイタルを開いたり、ミュージカルでも活躍し、これまで2枚のアルバム(”La Liberta”, “Extase”)を出している。私生活では、フランスを代表する哲学者・作家のベルナール=アンリ・レヴィ(Bernard-Henri Levy)氏の妻として有名。





<Eric Rohmer>



『海辺のポーリーヌ / Pauline a La Plage』(1982)
出演:アマンダ・ラングレ / アリエル・ドンバール / パスカル・グレゴリー/ フェオドール・アトキン







エリック・ロメール“喜劇とことわざ”シリーズの第3弾。

”言葉多き者は災いの元” ~クレチアン・ド・ドロワ

15歳の少女が経験する、ひと夏のヴァカンスの出来事。「アリエル・ドンバールは、15歳の少女ポーリーヌ(アマンダ・ラングレ)の年上の従姉妹マリオンを演じ、”エスプリの玉手箱”のようなロメール映画にコケットな魅力を添えた。














『美しき結婚 / LE BEAU MARIAGE』(1981)
出演:アマンダ・ラングレ / アリエル・ドンバール / パスカル・グレゴリー/ フェオドール・アトキン

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エリック・ロメール“喜劇と箴言”シリーズの第2弾。

”どんな心も 野で獲物を追い 空中に楼閣を建てる” ~ジャン・ド・ラ・フォンティーヌ

打算的な若い女性が理想の男性(独身の弁護士!)を一方的に追い回し、自己中のあまり失恋する恋愛喜劇。アリエル・ドンバール姐さんは、お医者様と結婚して玉の輿(原題の意味)に乗り、好きな絵の仕事を続けている友人を演じ、お金も愛も手に入れてセレブになった勝ち組女を軽やかに演じて余裕の美しさを魅せるぞ!U^ェ^U(実生活では、アリエル・ドンバール姐さんは、フランスを代表する哲学者・作家のベルナール=アンリ・レヴィ夫人だもんね。)撮影は24時間耐久レースで有名なルマンを中心に行われ美しい石畳の街並みが美しく、ワイヤレスマイクを駆使しての同時録音がとてもリアルな会話が演出効果をたかめてます。フランス・シネマ大賞受賞。











『倦怠』(アルベルト・モラヴィア原作 L'Ennui, 1998)



監督:セドリック・カーン
出演:シャルル・ベルリング、ソフィー・ギルマン、アリエル・ドンバール



大学の哲学教授マルタンは、妻に出て行かれて以来、甚だしい鬱状態にある。そんな中、奇妙な縁からひとりの若い娘と出会った。或る老画家の死に密接に絡む娘だ。老画家との話に引かれたマルタンだったが、娘と濃密な性愛の日々を送るうちに、自分を抑えることが出来ないまま、いつしか死んだ画家の後釜になりつつあった。マルタンにとって、無垢と無関心の間を行き来する娘は、数ヶ月が経ても、不可解さだけが募る存在だった。別居中の妻は、そんな夫の冷酷な聞き役となり、この熱情劇の特別な観客となる。だがやがて、文字通り熱情に駆られたマルタンは、自分の中にあった確信めいたものを、ひとつ、またひとつと尽く打ち砕かれて行くのだった。(その年最も革新的な作品に贈られるルイ・デリュック賞(1998)を受賞した傑作、「カイエ・デュ・シネマ」誌年間ベストテン7位)





寺山修司『上海異人娼館/チャイナ・ドール (1981)』



上海の娼館を舞台に一人の美しい娼婦“O”とステファン卿との倒錯の愛を描く。製作総指揮は、『愛のコリーダ』『ブリキの太鼓』の連作で世界の耳目を涌かせた仏制作者アナトール・ドーマンとヒロコ・ゴヴァース、製作は九條映子、監督・脚本は『ボクサー』の寺山修司。原作は『O嬢の物語』のポーリーヌ・レアージュ、撮影は鈴木達夫、音楽はJ・A・シーザー、編集はアンリ・コルピ、美術は山下宏、衣裳はカイジック・ウォン、グラフィック・デザイナーは合田佐和子、ナレーターはジョルジュ・ウィルソンが各々担当。



出演は怪優クラウス・キンスキー、イザベル・イリエ、アリエル・ドンバール、ピーター、新高けい子、山口小夜子、高橋ひとみ、大野美雪、中村研一、石橋蓮司、藤田敏八など。







ロメール『緑の光線/LE RAYON VERT』(1986)

その時、水平線に沈もうとする太陽が、最後の緑の光線を放つ。・・・・・感動のラスト・シーン!
ekato
はらりと落ちた半券。誰と行ったか覚えてるけど、覚えてない?!


# by ekatocatoblog | 2006-08-23 00:34 | フランス映画

アンジェイ・ワイダ 監督作品 『灰とダイヤモンド(1958年 ポーランド)』<



アンジェイ・ワイダ 監督作品 『灰とダイヤモンド(1958年 ポーランド)』

松明のごとくわれの身より火花の飛び散るとき
われ知らずや、わが身を焦がしつつ自由の身となれるを
もてるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、嵐のごとく深淵におちゆく混迷のみなるを
  
永遠の勝利の暁に、灰の底深く
  
  燦然たるダイヤモンドの残らんことを

チプリアン・カミユ・ノルヴィッド「舞台裏にて」

マチェクとクリスチーナが雨宿りのために飛び込んだ教会の墓碑名に刻まれていた弔詩。

2

虫ケラのように弾丸を浴び、真っ白なシーツに血が滲んで、自分の血の臭いを嗅ぐ・・・ラスト、路傍の巨大なゴミ捨て場の中で、喘ぎながら息絶えるマチェク。ゴミ捨て場で胎児のように身体をまるめての壮絶な悶死……。その克明に描かれるマチェクの空しい死に様は、崇高な悲劇のようであり、観る者を絶句させずにはおかないほどの鮮烈な記憶を残した。フレームのすみずみまで配慮のいきとどいたモノクロームのスタンダード画面が美しく映え、光と影のコントラストが実に鮮やか!祖国ポーランドへの愛国心に燃えて生きた若者たちの魂に捧げられた金字塔的傑作!
「灰とダイヤモンド」のテーマ曲、オギンスキの「ポロネーズ」の物哀しい旋律が私の頭を駆け巡る。



アンジェイ・ワイダ 監督作品 『灰とダイヤモンド(1958年 ポーランド)』

監督・脚本:アンジェイ・ワイダ
原作・脚本:イエジー・アンジェイエフスキ
出演:ズビグニェフ・チブルスキ、エヴァ・クジジェフスカ

イエジー・アンジェイエフスキーの同名小説を彼自身とアンジェイ・ワイダが共同で脚色し映画化。二十八歳で監督デビューし、三十歳で映画史上に残る名作「灰とダイヤモンド」をものした。青年の孤独な生と死を通して、戦後ポーランドが辿った過酷な運命を描いた、アンジェイ・ワイダによる戦争3部作の一作。ベネチア映画祭国際批評家連盟賞受賞。1950~70年代にかけ、その社会性と芸術性の高さで欧州映画の中でも異彩を放っていたポーランド映画の傑作群の中でももっとも忘れがたい作品。フランスのヌーヴェルヴァーグ勢同様、世界の映画界に強烈な新風を吹き込んだポーランド映画。アンジェイ・ワイダ、イエジー・カワレロヴィッチ、アンジェイ・ムンク、ロマン・ポランスキーらが著名だが、その中でも、祖国ポーランドにとどまり、徹底してポーランド社会にこだわった作品を産み出し続けた監督が、アンジェイ・ワイダである。
アンジェイ・ワイダ 監督はこの映画を彼が青春時代を過ごした「戦争時代を後世に語り継ぐ事」であり、「生き残ったものが死者に対して送るレクイェムであり、責務でもある。」とも語っている。



主人公のマチェクを演じたズビグニェフ・チブルスキー!
その黒い眼鏡に細いズボンは一世を風靡し「東欧のジェームス・ディーン」と呼ばれた!

舞台は、1945年。終戦直後の焦土と化したポーランドのとある町。ナチス・ドイツが撤退した直後のポーランド。まだソ連系共産党の支配を受けていない混沌とした時期である。大戦中は対ナチスレジスタンス運動をしていた主人公マチェク(ズビグニェフ・チブルスキー)は、ワルシャワ蜂起で多くの仲間を失っていた。マチェクは、祖国の自主独立を目指し、ソ連傀儡政府に抵抗する組織の活動員として、政府側の要人シチュカの暗殺という任務を遂行しようとしていた。その一日の午後から次の朝までの時間....一気に語られる悲劇的な愛と暴力の物語。



第2次世界大戦末期、右派主導のワルシャワ武装蜂起は失敗に終わった。その挫折感からサングラスをはずさないマチェックは戦後、反共テロの殺し屋に身を持ち崩していた。



ところがマチェックは、かつての同志でソ連系共産党地区委員長(労働者党書記)シチュウカの暗殺を実行するが、誤って別の男2人を殺してしまう。マチェックの属する地下組織はさらにシチュウカの暗殺指令を発する。



党書記が泊まるホテルの隣室を借り、機会を窺うマチェクは、ホテルのウェイトレスのクリスティナ(エバ・クジジェフスカ)と恋におち、あわただしく、思いもかけない情事をもつ。マチェクははじめて、生まれ変わり、暗殺指令を放棄しようとまで思う愛を発見する。



 「生き方を変えたい。今から普通に生きたい。今わかったことが昨日わかっていたら..... 人殺しはもういやだ。生きたいんだ。」



マチェクは、クリスティナと夜の町を彷徨います。地下墓地の入り口で雨宿りをする。クリスチーナが木版に彫られた詩を読みあげます。

「先が読めないわ」

「‐永遠の勝利のあかつきに 灰の底深く さんさんたる ダイヤモンドの残らんことを‐」

 マチェックは、続きを暗誦する。

「きれいね。灰の底深く、ダイヤモンドの残らんことを。……私たちは何?」

「君か? ダイヤモンドさ」



地下墓地の奥には天井から逆さづりになった十字架が、わずかに揺れてる。十字架の向こう側には、十字架といっしょに逆さづりになったキリストの頭や手が垣間見える。

逆さ吊りのキリストを前にして、マチェクは言います。

「あのね。変えてみたいものがある。生き方を変えたい。うまく言えないけど」

「いいわ。大体わかる」

しかしマチェクには時間がなかった。明朝までに、共産党幹部を暗殺しなければならなかったのだ。



<映画の背景となったワルシャワ蜂起>

ワルシャワ蜂起とは、第二次世界大戦中ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで起こった武装蜂起である。
1944年、ソビエト軍によるバグラチオン作戦の成功によりナチス・ドイツは
敗走を重ねた。解放地域がワルシャワ付近に及びそれに呼応するような形で8月1日、ワルシャワで武装蜂起が行われた。しかしながらソビエト軍はその進軍を止め、イギリスの度重なる要請にも関わらず蜂起を援助する姿勢を見せず、イギリスによる支援も妨害した。その妨害が除かれた時はすでに手遅れな状態であり、ドイツ軍による懲罰的攻撃によりワルシャワは徹底した破壊にさらされ、レジスタンス・市民約22万人が虐殺され、10月3日鎮圧された。死亡者数の推定は18万人から25万人の間であると推定され、鎮圧後約70万人の住民は町から追放された。
生き残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、ソ連軍進駐後は裏切ったソ連を攻撃目標とするようになり、共産政府樹立後も、要人暗殺未遂などしばらく混乱が続いた。
ワルシャワ蜂起を題材とした作品は、アンジェイ・ワイダ監督の三部作『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』をはじめ、ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』(2002年、フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス映画)などが知られる。



<Andrzej Wajda>

「私が何故この二本の映画(『地下水道』『灰とダイヤモンド』)を作り、何故これらの作品が私の最初の映画でなければならなかったのか……という質問を、私自身にも発しているのですよ。(中略)私はワルシャワ蜂起に参加しませんでした。戦後、私はクラクフの美術学校に入学しましたが、そこでの人々は、戦争体験はなく、美術に熱中していました。
一方で、私と同じ世代のある人々は、戦争という状況を生き、戦争という悪を見、恐怖の中で苦しみました。私は何も体験していません。そこで私は、何とかして償いをしようと決心しました。私は、私のかたわらを通り過ぎて行った戦争という歴史的事件の体験を、他の人々と共有出来ないことで深く恥じ入っていたのです。私は映画で戦争を追体験することにより、私の個人史の中での空白のページを埋めようと考えました」(アンジェイ・ワイダ)



「彼(マチェク)は、例えそれが苦渋に満ちた決断であろうとも、武器を捨てるよりは殺人を選ぶのだ。自分自身を、そして人目につかぬよう隠し持たれた必殺必中のピストルだけを頼りにした世代に典型的な振る舞いだ。私は彼らのような不撓不屈の若者達を愛する。彼らを理解する。私のささやかな映画は、彼らの世代(私もそこに属する)が生きた複雑で困難な世界を、観客の前に開示しようとするものである」(アンジェイ・ワイダ、1958年)



1926年3月6日、ポーランド北東部のスワルキに生まれたワイダ氏は、13歳でドイツ軍の祖国侵略にあい、16歳のころから反ナチズム抵抗運動に参加した。
解放後はクラフクの美術アカデミーで絵画を学び、ウッジの国立映画大学で演出を学んだ。ワイダ監督をはじめ、アンジェイ・ムンク、ロマン・ポランスキーら、
世界的な映画作家を次々と輩出してきた。1954年卒業後、『世代』、『地下水道』、『灰とダイヤモンド』の抵抗3部作とよばれる連作で、戦中戦後の祖国同胞の悲惨な体験に題材をとり、戦うこと、生きることが人間をどのように動かしてゆくかを鮮烈な映像に刻み、世界的な反響をよんだ。これらをリアリズム系列とよぶならば、ワイダ氏はまたロマンティシズムの系列とよぶべき作品があって、『夜の終わりに』、『白樺の林』、『ヴィルコの娘たち』などで青春の傷みや安らぎをうたった。さらにまた、『灰』、『天国の門』、『約束の土地』、『ダントン』等では、時代をさかのぼって人間の欲望と挫折を描いた。以後は文学の映画化や虚空の世界を描くようになるが、81年の戒厳令で映画人協会会長の座を追われ、祖国での映画製作ができなくなり、フランスやドイツの協力で作品を撮りつつ、86年の「愛の記録」でポーランド映画界に復活した。一方、59年から始めた舞台演出も、映画監督と同等の比重を占めている。日本でも、88年にドストエフスキーの『白痴』を舞台化した「ナスターシャ」を坂東玉三郎主演で、90年秋にはクラクフ・スターリー劇場の「ハムレット」が上演されている。
87年に京都稲盛財団の第3回京都賞を受賞したワイダ監督は、ポーランドの若者たちに芸術的な刺激を与えたいと賞金4500万円を全額基金にして、クラクフに眠る約一万点の日本美術品の展示場をつくることを提案。その熱い思いに打たれて、日本でも募金に13万人以上が参加し、94年11月、クラクフ日本美術技術センターが完成した。京都賞の他にも世界の多くの賞を受けている。95年日本政府より勲三等旭日中綬章、96年、高松宮殿下記念世界文化賞。98年には、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞(名誉賞)を受賞。2000年のアメリカ・アカデミー賞特別名誉賞の受賞は記憶に新しい。



【フィルモグラフィー】
1954年 「世代」
1957年 「地下水道」(カンヌ国際映画祭審査員特別賞)
1958年 「灰とダイヤモンド」(ヴェネチア国際映画祭国際批評家連盟賞)
1959年 「ロトナ」
1961年 「夜の終りに」「サムソン」
1962年 「シベリアのマクベス夫人」「二十歳の恋」
1965年 「灰」
1967年 「天国への門」
1968年 「部品の寄せ集め」
1969年 「すべて売り物」「蝿取り紙」
1970年 「戦いのあとの風景」「白樺の林」(モスクワ国際映画祭金メダル賞)
1972年 「ピラトと他の人たち」
1973年 「婚礼」
1975年 「約束の土地」(モスクワ国際映画祭金賞)
1976年 「境なす影」
1977年 「大理石の男」(カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞)
1978年 「麻酔なし」
1979年 「ヴィルコの娘たち」
1980年 「ザ・コンダクター」
1981年 「鉄の男」(カンヌ国際映画祭パルム・ドール)
1982年 「ダントン」(ルイ・デリュク賞、セザール賞監督賞)
1983年 「ドイツの恋」
1986年 「愛の記録」
1987年 「悪霊」
1990年 「コルチャック先生」
1992年 「鷲の指輪」
1994年 「ナスターシャ」
1995年 「聖週間」(ベルリン国際映画祭銀熊賞)
1996年 「ミス・ノーボディ」
1999年 「パン・タデウシュ物語」



<Zbigniew Cybulski> 1927/11/03 - 1967/01/08

マチェクを演じたチブルスキーは、1967年、四十歳の若さで早逝。ワルシャワ行きの列車に飛び乗ろうとして、ホームとの間にはさまれた末の轢死であった。

■  愛する(1964)
■  二十歳の恋(1962)
■  夜の終りに(1961)
■  夜行列車(1959)
■  灰とダイヤモンド(1957)
■  世代(1954)

 

 
# by ekatocatoblog | 2006-08-13 21:11 | ポーランド映画

フランソワ・ド・ルーベについて私が知っているニ、三の事柄


フランソワ・ド・ルーベについて私が知っているニ、三の事柄



Le Samourai



◆フランソワ・ド・ルーベ(Francois de Roubaix)◆ 

フランソワ・ド・ルーベはフランスではジョルジュ・ドルリューやフィリップ・サルドと並ぶ名作曲家ですが、1枚もののサントラCDが数枚しか出ていない人なので、編集ものが多く、その早すぎる死はド・ルーベを伝説的作曲家と呼ばしめています。

  

『フランソワ・ド・ルーベ・エディションン 1&2』

フランスの作曲家フランソワ・ド・ルーペは、1939年4月3日パリ郊外に生まれました。ほとんど独学で音楽を学び、ジャズ・バンドでトロンボーンを演奏していた。彼の音楽は、正規に教育を受けたものでなく、ジャズの即興演奏のテクニックをベースにしたもの。その後、作曲家としてではなく、撮影助手や録音技師として映画製作に関わり始めます。その中で少しずつ映画音楽を作るようになっていった彼は、1959年に映画監督のロベール・アンリコと出会い、その後彼の映画を中心に映画専門の作曲家として活躍するようになります。元もと録音技師だったこともあり、ポピュラー音楽の最新録音技術を映画音楽に導入することに成功しました。マルチトラック・レコーダーを中心とする多重録音方式によって映画音楽を作るようになった先駆けであり、シンセサイザーを用いて音楽を製作するようになった先駆者でもありました。
 そんな彼は1975年趣味のスキューバ・ダイビング中の事故により36歳という若さでこの世を去っています。彼こそ「冒険者たち」そのままの人生を送った伝説の英雄かもしれません。



■フランソワ・ド・ルーベ <Francois de Roubaix>■ 
生年 ■ 1939/04/03
出身地 ■ フランス
没年 ■ 1975/11/22

ジャン=ピエール・メルヴィル監督、アンリ・ドカエの硬質な映像美。そしてアラン・ドロンの孤高の美しさ。フレンチ・ノワールの一大傑作「サムライ」や、暗黒街出身の冒険小説作家ジョゼ・ジョヴァンニの原作をロベール・アンリコが指揮した、口笛が哀愁を漂わせる彼の代表作「冒険者たち」などフランス映画のコンポーザーとして知られるフランスの天才作曲家フランソワ・ド・ルーベ!



今尚、その輝きは永遠に色あせることはないだろうロベール・アンリコ監督の「冒険者たち」のスコアは、フランス映画音楽史上屈指の大傑作!!!



Special Thanks Laetitia with LOVE!
ジョアンナ・シムカス(Joanna Shimkus Birth:1943/10/30 )



『愛しのレティシア』(ヴォーカル:アラン・ドロン)



《公開時コピー》
愛とロマンと冒険に夢を賭けたアドベンチャーたち!
全映画ファンに青春の1ページを鮮やかに印す秀作
大空に!陸に!海に!



監督: ロベール・アンリコ  原作: ジョゼ・ジョヴァンニ 
脚本: ロベール・アンリコ/ジョゼ・ジョヴァンニ/ピエール・ペルグリ
撮影: ジャン・ボフェティ  音楽: フランソワ・ド・ルーベ 
出演: アラン・ドロン/リノ・ヴァンチュラ/ジョアンナ・シムカス



コンゴ動乱の際、行方知らずとなった5億フランにものぼる莫大な財宝をめぐって、男ふたり、女ひとりの三人の男女がアフリカのコンゴ沖にやってきた。しかし財宝が引き上げられたとき、襲ってきたギャングの流れ弾に当たり、女は死んでしまう。残った男二人は、財宝をもって彼女の故郷へ逃げるが……。三人の男女の愛と友情を描いたロマン溢れる冒険譚。ヴァンチュラ、ドロン、そしてシムカスの新鮮な魅力と、フランソワ・ド・ルーベの音楽を得て、R・アンリコが生み出した永遠の傑作。



飛行クラブの教師でパイロットのマヌー(アラン・ドロン)、元レーサーでエンジニアのローラン(リノ・ヴァンチュラ)、女だてらに屑鉄板で彫刻をする前衛芸術家の卵レティシア(ジョアンナ・シムカス)の、奇妙な友情で結ばれた聖三角関係。マヌーは一獲千金、パリ凱旋門を飛行機でくぐる夢を。ローランは世界最速の自動車エンジンを作るという夢を。前衛芸術家を目指すレティシアと二人の男たち、この魅力的な3人が繰り広げる「夢追い」の世界。「夢」という共通項で結ばれた夢追い人だったが.....。



死んでしまったレティシアは潜水服に包まれ二人の男に抱かれるかのように海底深く誘われる埋葬シーンにクリスチャンヌ・ルグラン(sop)のスキャットが流れる。残酷にも海の底に沈んでいくレティシア.....。このシーンの美しさはまさに魂に染み入るもの。
ラスト近くの銃撃戦で、ヴァンチェラがドロンの最期を看取るシークェンス、「レティシアはお前が好きだったんだ」と嘘をつくシーン、ラストの延々と続く空撮は青春映画史上屈指の名場面でしょう!
でも、はたしてレティシアはどちらが好きだったのだろう?!



その後、一人生き残ったローランに残されたものは何もない。夢のような大金を持ってはいるが、親友マヌーを失い、愛するレティシアがいないこの場所で、これからの彼の人生は孤独である。誰も受け入れない要塞のような島から、カメラは次第に旋回しながら離れていく。空高く離れたところで、その孤立した孤独の島を俯瞰で映し出す.....。
レティシアが今でも記憶の中に、時折、夢のように揺らいで現れる.....。

*銃撃戦が行われた海に浮ぶ古城は『ボワイヤー砦』。大西洋ビスケー湾に面したフランスの港町ラロシェルの近く。



◆ロベール・アンリコ (Robert Enrico 1931- 2001)◆
1931年4月13日フランス・パ・ド・カレー生まれ。ソルボンヌ大学を卒業後、IDHECで映画技術を学ぶ。1961年『ふくろうの河』で、カンヌ国際映画祭短編グランプリを受賞する。アラン・ドロン、リノ・ヴェンチュラ共演の青春ロマン『冒険者たち』が大ヒットする。ヒロイン役のジョアンナ・シムカスを『若草の萌える頃』など数作で起用し、一時恋愛関係に。ブリジット・バルドー主演の『ラムの大通り』も成功した。2001年2月22日死去。
ロベール・アンリコ の遺作は、偵察中のサン=テクジュペリが行方不明になる迄の二日間を描いたTVムービー『サン=テクジュペリ/星への帰還(1994)』です。



◆ジョゼ・ジョヴァンニ(Jose Giovanni)◆
1923年フランス生まれ。第二次大戦中はレジスタンスに入るが、戦後、暗黒街に身を置き、刑務所に入ったこともある。弁護士のすすめで、その体験を小説『穴』に書き、ジャック・ベッケルが映画化した際、自ら脚色を担当、映画界でのキャリアを始める。自分の脚本を映画化した『冒険者たち』が気に入らず、『生き残った者の掟』としてリメイクし監督としてもデビュー。幾多のアウトローものを手掛けている。

  

『FRANCOIS DE ROUBAIX フランソワ・ド・ルーペ/ANTHOLOGIE VOL.1&2』
2集にはなんとジョアンナ・シムカスによる、冒険者たちの主題歌デモ・バージョンが収録されています!

━◆主要映画音楽作品◆━

■  危険旅行(1978)
■  追想(1975)
■  ラ・スクムーン(1972)
■  ラムの大通り(1971)
■  パリの気まぐれ(1970)
■  最後のアドレス<未>(1969)
■  ジェフ(1969)
■  オー!(1968)
■  さらば友よ(1968)
■  若草の萌えるころ(1968)
■  悪魔のようなあなた(1967)
■  サムライ(1967)
■  世界のティーンエージャー(1967)
■  ブロンドの罠(1967)
■  ベラクルスの男(1967)
■  冒険者たち(1967)
■  生き残った者の掟(1966)
■  黒豹は死なず(1966)
■  男たちの掟<未>(1965)



EP盤『さらば友よ」(1968)』

  



『ラムの大通り/ BOULEVARD DU RHUM(1971)』

ド・ルーベの天才的な独創性とシャープな音楽性が堪能できる傑作!

◇ジョアンナ・シムカス(Joanna Shimkus)◇



芸術家の卵レティシアを演じたジョアンナ・シムカスは、スレンダーな容姿に長い髪。60年代後半の時代の雰囲気を体現した女優だった。俳優としての貫禄たっぷりのリノ・ヴァンチュラも、いつも女性に囲まれて華やかなアラン・ドロンも、残念ながらこの映画の中の彼女の魅力にはかなわない。
”レティシア”という美しい響きの名とともに、永遠に映画ファンの心に生き続ける。
1943年カナダ・ハリファックス生まれ。アイルランド系のフランス女優。16歳で雑誌のモデルとなり、18歳でパリへ。雑誌の表紙などを飾っているうち、映画デビュー。ロベール・アンリコの三大傑作「冒険者たち」「若草の萌えるころ」、「オー!」の全てに出演し、監督のロベール・アンリコに愛されるが、数本の映画に主演した後、アメリカで共に仕事をしたのがきっかけで、この映画の後、彼女は大物黒人俳優の先駆けとなったシドニー・ポワチエと結婚。スクリーンから消えてしまいます。華やかな女優人生は約束されていただろうに、引退しなければ、70年代の映画界はもっと面白かったと思うんだけど。それだけに、この映画での輝きには忘れがたいものがあります。
現在は二人の娘さんの母親であり、ポワチエ夫人である。
【FILMOGRAPHY】
実験結婚 (’71)/失われた男 (’69)/オー! (’68)/夕なぎ (’68)/若草の萌えるころ (’68)/冒険者たち (’67)/ポリー・マグーお前は誰だ (’66)/スタンダールの恋愛論 (’65)/パリところどころ (’65)



『若草の萌えるころ(1968)』
「あんなに私を愛してくれた、ジタ伯母さんが死んでしまうかも知れない...」アニーは眠れなかった。そして、死の不安に怯える多感な少女は眠れぬままに、夜の街にさまよい出た。初めて、一人歩くパリの夜の裏街はまるで別世界のよう。
自宅に戻ったアニタは伯母の死を知るが、不思議と心安らかに、田舎で彼女と隠れん坊をした少女の日々を想い出すのだった。少女が初めての愛を経験したその夜に、愛する伯母さんは静かに息をひきとったのだった......。1960年代の狂騒のパリで起こるエピソードを淡々」と描き、アンリコの詩情溢れる珠玉の青春映画。

   

『若草の萌えるころ(1968)』 『オー!(1968)』

  

『さらば友よ(1968) 』 『サムライ(1967)』



『冒険者たち(1967)』

  

『サムライ(1967)』 『さらば友よ(1968) 』

  

『ジェフ(1969) 』 『ラ・スクムーン(1972)』

  

『オー!(1968)』 『若草の萌えるころ(1968)』

  

『追想(1975)』 『ラムの大通り(1971)』

ekato

映画に愛されるために.....。Special Thanks JULIE LONDON !U^ェ^U



Special Thanks JULIE LONDON !U^ェ^U


# by ekatocatoblog | 2006-08-12 20:40 | ポーランド映画

アンダーグラウンド映画の巨匠ケネス・アンガー『マジックランタン・サイクル』特集



アンダーグラウンド映画の巨匠ケネス・アンガー『マジックランタン・サイクル』特集



ケネス・アンガー作品集『マジック・ランタン・サイクル(完全版)』LDジャケット

“アートとは、現実の反映ではなく、その反映の現実性なのである” J.L.ゴダール

1930年(?)生まれのアメリカのアンダーグラウンド映画作家にして、ハリウッド映画界のスキャンダラスな大著「ハリウッド・バビロン」でも知られるケネス・アンガーが繰り出す9つの物語『マジックランタン・サイクル』(上映時間 153分)!
「スコピオ・ライジング」(63)、「K.K.K.」(65)、「我が悪魔の兄弟の呪文」(69)、「ブース・モーメント」(49)、「ルシファー・ライジング」(80)、「花火」(47)、「ラビッツ・ムーン」(50~78)、「人造の水」(53)、「快楽殿の創造」(54~78)を、1947年より数十年に渡り何度となく改訂を重ね、1980年に最終完全版のフィルモグラフィとしてまとめられた一連のフィルム群を『マジックランタン・サイクル』と称する。
ここに使用の画像はレーザーディスクからのご紹介です。LD、ビデオ発売(現在廃盤、未DVD化)の後、'95年にようやく劇場公開。



『スコーピオ・ライジング』(1963年)

1963/カラー/29分/原案・監督・撮影・編集=ケネス・アンガー
音楽: リトル・ペギー・マーチ/ミック・ジャガー/ボビー・ボーソレイユ&フリーダム・オーケストラ
出演:ミリアム・ギブリル/ドナルド・キャメル/ヘイドン・クーツ

「ジャック・パーソン、ビクター・チルド、ジム・パワー、ジェームス・。ディーン、T.E.ローレンス、ハート・クレイン、カート・マン、スパルタン教団、、ヘルス・エンジェルス、そして未だ大人になりきらずにルシファーの合図を追い求め続けているものたちに捧ぐ。」(ケネス・アンガー)



「アンガーは道徳的になることもなければ、強調することも、一つの立場をとることもない。彼は、詩人として、このテーマを、充分に、周到に提示するだけなので、アンガーの後ろに、この主題について言うべきことは何もない。すべては彼の映画に、一度や二度見ただけでは探しきれないほどたくさんのものが、隠され、暗示されている。アンガーは蠍のマークをつけただけでそのままこの映画を放置したが、そのこと自体が一つのモラルである、と私は思う。」(ジョナス・メカス「メカスの映画日記」飯村昭子訳)



一躍その名を轟かせた『スコーピオ・ライジング』(1963年)
4パートに分かれた魔宴!暴走族を現代のカウボーイ、”ラスト・ロマンティスト”に見立て、ハリウッドのスキャンダラスなスターたちと、ゲイ、ナチ、政治、宗教を、50、60年代のポップスにのせてコラージュし、ポップアート・ヴィジョンとして提示したもの。オープニングから、画面一杯に広がる真紅をバックに、正に“RISING”してくる黒革ジャケットの男の背中に、スタッズで打ち込まれたタイトルと監督名。このオープニングのあまりの格好良さは一度観たら生涯忘れられないもの!



アンガーは語る。「アメリカのモーターサイクリストの神話の、《ハイ》な観点である……クロームのタナトス、ブラックレザーと破れたジーンズ。アイロニカルなアプローチこそ私の物の見方であり、この世に対する見解だ。私はアーティストなのだから『スコピオ・ライジング』ではただ、当時のある現象を観察しているだけだ」。



 

 

 



<ケネス・アンガー Kenneth Anger >

1927年(1930年、1932年など諸説あり)生まれ。
アンガーは、アメリカ実験映画の父ジェイムズ・シブリー・ワトソンやフランスのジャン・コクトーの強い影響を受けつつ、ハリウッドに生まれ育って何本かの映画に子役で出演したという幼児体験からくるであろう独自のセンスと商業映画的な映像へのアンビヴァレントな感情、それに同性愛という性的なアイデンティティを前面に押し出し17歳にしてゲイ映画の古典とされる『花火』を完成しジャン・コクトーにシュールレアリズムを受け継ぐものとして絶賛され、創作の場をパリに移し、以後イタリア、ニューヨーク、サンフランシスコなど、世界各地を転々としてゆく。特筆すべきは、イギリスのオカルティスト、アレイスター・クロウリーに触発された呪物崇拝的なイメージを主題としはじめ、当時の世紀末思想を色濃く反映した暴力と死への誘惑を超克するサイケデリックなヴィジョンを提示しドラッグムービーの頂点に立った。その作品はアンダーグラウンド映画の神話そのものであり、オリジナリティあふれる独自の世界を開花させ、実験映画やゲイ映画は言うにおよばず、商業劇映画やコマーシャル・フィルムにまではかり知れない影響を与え、ジャン・コクトー、ミック・ジャガー、ジミー・ペイジ、デヴィッド・リンチ、デニス・ホッパーら、ジャンルを越えた大きな影響を21世紀のアーティストにも与え続けています。



「科学と芸術は意識のなかの価値基準を変えるインパクトがあるものだ。マジックとは自分と自分の状態を理解する科学であり、芸術とは理解したことを行動に移すことである。」(アレイスター・クロウリー)

『トートの書』アレイスター・クロウリー

「ケネス・アンガーはクロウリーに傾倒し、『INVOCATION OF MY DEMON BROTHER』などの短編映画で、クロウリー哲学を映像的に表現しようとこころみた。また、ケネス・アンガーはレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジや、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リャードらに、それを教えたとトニー・サンチェスの『UP AND DOWN WITH THE ROLLING STONES(ローリングストーンズ夜をぶっとばせ)』にはある。特にジミー・ペイジはスコットランドのネス湖のほとりにあった、クロウリーの別荘を買い取るほどに熱中していた。ケネス・アンガーは《悪魔教会》設立以前、ラヴェイのオカルト研究グループに参加しており、《悪魔教会》にクロウリー哲学を持ち込んだのも彼ではないかと言われている。 」




ハリウッド映画界の栄光の裏面史をスキャンダラスに描いた大著『ハリウッド バビロン』日本語版出版(リブロポート)絶版
ケネス・アンガーが1965年にフランスで地下出版し、大幅な改稿が余儀なくされたアメリカでの出版だったが、1975年に出版されまたたくまにベストセラーとなり、続編として「ハリウッド・バビロン・」が1984年に書かれた。



 

 

 

 



『WALK ON THE WILD SIDE』




「ワイルド・サイドを歩け / Walk On The Wildside 」
ルー・リードの唯一のシングルヒット曲!

ホリーはフロリダのマイアミからやって来た アメリカ中をヒッチハイクして
旅先で眉毛を引っこ抜き すね毛を剃ればもう彼女
彼女は言う、”ねえアンタ、裏街道を歩きなよ”

キャンディは島の外からやって来た 秘密クラブじゃみんなの恋人だった
だが舌を使う時にも 我を忘れることはなかった
(褐色の女たちは歌う doo doo doo do doo)

リトル・ジョーは負け知らず みんなが金を巻き上げられる
あっちでごまかし、こっちでちょろまかす ニューヨークじゃこう言うのさ
”なあアンタ、これが裏街道の人生さ”



シュガー・プラム・フェリーが風を切って歩く ソウルフードを食わせる店を探してね
アポロに行ったんなら ゴーゴー踊る奴の姿を見たはずだぜ

ジャッキーはスピードでいっちまったる 今日の彼女はジェームス・ディーンのつもり
だったら事故に遭わなくちゃ パーティーには精神安定剤の助けがいる

ワイルドサイドを歩くんだ
褐色の女たちは歌う doo doo doo do doo



これが「Transformer」の有名な裏ジャケ!ヨタモノっぽい男とどう見ても男にしか見えない女が写ってもっこりとハードゲイの世界が取りあげられている。あははは。歌詞の登場人物はすべて実在の人物で、アンディ・ウォーホルの「ファクトリー」にたむろってた与太者達だという。ステージ上でのヘロイン注射、美少年レイチェル君との婚約など数々の伝説を残した「ニューヨークの闇の帝王」ルー・リードの最高傑作!




◇USA盤DVD◇NY・アンダーグラウンドの伝説的映画作家、写真家リチャード・カーンの代 表作セレクション『HARD CORE』です。貴重なリージョン・フリー盤ですので日本製プレーヤーで視聴できます。リチャード・カーン監督作品、出演:リディア・ランチ、 ソニック・ユース他...。 リチャード・カーン監督作品で徹底的に描かれるのは凶暴なセックス とヴァイオレンスです。80年代、クラブの闇の中で密かに上映され、ポスト・パンク、オルタ ナティブ・シーンに大きな影響を与えたNY・アンダーグラウンドの最重要な伝説的映像作家のまさにハードなハードな作品集です。SM、ボンデージ、ドラッグ、サイコパス、狂気、フェティ シズム・・・を全て凝縮してフィルムに閉じ込めたかのようなこれらの映像には、恐怖を感じ観る者の狂気を誘発するばかりでなく、観 る物を危険なエクスタシーへと誘い込みます。SEXと暴力と死の強力なオブセッションは、観る者をマインド・ファック(リチャード・カーンの言葉)するかつてない強烈な映画体験となる事と思われます。ソニック・ユース、バットホール・サーファーズ、ジム・フ ィーダースらの先鋭的な音楽との饗宴もお楽しみください。英語版。




ekato


「アメリカの実験映画は、1940年代より胎動し、 50年代から70年代にかけて隆盛を迎える。60年代に「アンダーグラウンド映画」と呼ばれたこれらの作品は、社会的な流行現象として一大旋風を巻き起こすとともに、映像表現の領域で、日本はもちろん、世界に多大な影響を及ぼした。
今日の実験映画の手法や方法論の直接的な源泉となったのはもちろんだが、今もカリスマ的な人気を誇り、その作品がコマーシャル映像の手本とされたケネス・アンガーや、ミュージック・ビデオの源流なったブルース・コナー、コンピュータ・グラフィックスに先駆的に取り組んだジェイムス&ジョン・ホイットニー兄弟等、その影響が実に幅広かったことにも驚かされる。」



『パワーズ・オブ・テン』(1968年・1977年 原題:「POWERS OF TEN」)は、イームズチェア等で有名なチャールズ&レイ・イームズ夫妻が1968年と1977年(カラー版)の2度に渡って制作した短編科学映画。シカゴの公園に寝そべる男女から徐々にカメラが上空へパンして太陽系、銀河、宇宙へとスケールが十の累乗で拡大して行ったかと思うと、今度は急速に男に戻って細胞の中まで入っていくという、わずか9分半の驚くべき“旅”の全記録である。



何の変哲もないこの平穏な風景から驚くべき旅がスタート!



発想自体は、キースボークの『コズミック・ヴュー』にあるというが、CGのない時代に実写とアニメーションを組み合わせて、地上から宇宙の果てへ、そしてまた地上へと引き返し、最後は原子核にいたるという連続的なヴィジョンで壮大なトリップを制作したことに驚かされる。





音楽も素晴らしく、エルマー・バーンスタインによる電子音楽。現代音楽ファン必見!(マイアミ国際映画際金賞、トリエステSF映画祭審査員特別賞、ウィンスコン科学映画館最優秀映画賞など数多くの映画賞を受賞)




# by ekatocatoblog | 2006-08-11 14:37 | アンダーグラウンド